“ソフト”コミュニケーションで世界を結ぶ

世代や国境を越えて人々に潤いある笑顔と癒しの食文化を提供
日世株式会社(本社 大阪府茨木市)

突然ですが、甘いものはお好きですか? たとえばソフトクリームのあるシーンとは、どんな場面でしょうか?

日世株式会社 執行役員 茨田貢司氏

今年70周年を迎えたソフトクリーム総合メーカーの日世株式会社(以下、日世)は、アンケート調査を行い「そこには必ず笑顔がうまれる」ということをあらためて認識したとのこと。創業時からの「戦後の日本を元気にしたい、日本人に新しい文化を、安らぎを送りたい、作りたてのソフトクリームを手渡しすることによってお客様とのコミュニケーションがとれる」という想いを持ち続けています。今回の「暮らしとアルバック」は、東京支店(東京都品川区)にお邪魔し、執行役員の茨田貢司氏にお話を伺いました。

*本稿では製品名等の登録商標の表記は割愛しています。
(※この記事は、2017年7月発行の 広報誌No.67に掲載されたもので、内容は取材時のものです。)

進化する日世 ……デザート・フードの世界をより豊かに、より広く……

ソフトクリームを中心に、豊かなデザート・フードの世界を創造する日世。美味しさが、日本と世界をひとつにするという理念から、技術や情報を広く海外に求め、時代にふさわしい味を提案し続けてきました。その取り組みは、新たな商品を生むとともに、今日も広大なフィールドを開拓しています。 

「作りたて」が重要
ソフトクリームの意外なルーツコーンはワッフルが始まり

「NISSEI.OVEN.FACTORY」ブランドのコーン「チュイル」

そもそも「ソフトクリーム」は日世創業者の田中穣治氏が命名した和製英語です。英語で正確には「Soft serve icecream」というそうです。中国にあったミルクシャーベットの製法が、シルクロードを通ってヨーロッパに伝わり、アメリカへと渡りました。現在のような姿になったのには、このような逸話があります。
1904年アメリカ・セントルイス万国博会場でアイスクリーム屋とワッフル屋が隣り合わせで出展したときのこと。当時は紙皿に乗せて売られていましたが、猛暑で人気となり紙皿の在庫がなくなってしまいました。そこで隣の店のワッフルを円錐(コーン)状に巻いて使い、これが定着しました。コーンはワッフルが始まりなのですね。
そんな「アイスクリームの作りたてを提供したい」という想いと、冷凍技術の発展により、アメリカで「オートマティック・ソフト・サーブマシン」がうまれました。ソフトクリームは、フリーザーとも呼ばれる製造機の中で材料が撹拌され空気を含むので、口当りが滑らかになります。ソフトクリームの製品温度がマイナス5℃程度なのに対し、アイスクリームは柔らかいクリーム状のものをマイナス30℃以下で急速に固めており、お店ではマイナス18℃以下で売られています。ソフトクリームは「出来たてかどうか」が、冷やし固めたアイスクリームと違う点なのです。

1951年 日本に初めてソフトクリームを紹介7月3日は「ソフトクリームの日」

1947年に日系二世の田中穣治氏が「株式会社二世商会」を設立し、後に現在の日世となりました。当時、米兵からソフトクリームの存在を知り、日本に広めたいとアメリカからフリーザーを10台購入しました。1951年7月3日に神宮外苑で開催されたアメリカ独立記念イベントでソフトクリームが初めて紹介され、爆発的人気となりました。デパートや喫茶店で販売を開始し、当時はかけそば1杯15円に対しソフトクリームはなんと50円!かなりの高級スイーツですね。1954年日本で公開された映画「ローマの休日」でヒロインのオードリー・ヘップバーンがスペイン広場でジェラートを食べるシーンの影響もあり第一次ソフトクリームブームが到来しました。
はじめはコーンを輸入していましたが、大阪工場を開設し自社生産を始めます。1963年にはフリーザーも国産化し、材料となるソフトクリームミックスの生産を開始しました。さらに第二次ソフトクリームブームの到来となったのが、1970年大阪万国博覧会での大ヒットです。1990年には、初めて日本にソフトクリームが紹介されたことを記念して、7月3日が「ソフトクリームの日」に制定されました。