到達点が新たな出発点の 相変化メモリ研究

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独自の視点で「やればできる」をモットーに取り組む研究ポリシー

産業技術総合研究所 首席研究員 Ph.D.富永淳二

1960 年代に開発された「相変化メモリ」は、同一材料の結晶状態と非結晶(アモルファス)状態による差異変化を記憶させる技術である。この技術は1990 年代まで光磁気(MO:Magnetic Optical)技術に押されていたが、青色レーザーの実用化により、メモリの超高密度化の要求が高まり「相変化」が俄然注目されるようになった。今回ご登場いただいた産業技術総合研究所・首席研究員の富永淳二氏は1990 年頃から一貫して「相変化」研究に取り組み続けている。その成果も、相変化CD-RW、ブルーレイ対応超高密度DVD-RW のディスクメディア開発を経て、独自に考案した超格子型省エネルギー相変化固体メモリなど、次々に素晴らしい実績をあげられている。そればかりか現在、相変化メモリの新たな可能性を秘めた「トポロジカル絶縁体」の実用化にも取り組んでいる。富永氏の相変化メモリ研究とそれに伴うエピソードなどをお伺いした。

(この記事は、2019年10月発行の広報誌「ULVAC」に掲載されたもので、内容は取材当時のものです)

 

豊かな自然に恵まれのびのび育った少年時代

――少年時代は?
生まれは宮城県大衡村(おおひらむら)です。仙台平野に位置している農村で宮城県では唯一の「村」です。いまはトヨタの工場ができて、となり町よりも財政は豊かで人口も多い。それなのに「村」なのです。大衡村はちょっと変わっていて、面積の約半分は防衛省の所有地で、小学校の近くには自衛隊の演習場もあります。授業中に演習中の大砲の音や戦闘機のエンジン音がよく聞こえました。私の飛行機好きはこの頃の体験が影響しているのかも知れません。
小学生、中学1年まではもっぱら豊かな自然のなかで育ちましたので勉強なんてほとんどしませんでした。夏になると川をせき止めてプール代わりにして使用していました。秋にはトンボがたくさん飛んできます。田んぼや貯水池にはカエルがいっぱいいて、つかまえて遊んでいました。じゃが芋掘りもよくやりましたね。小学4年のときにとなり町(大和町:たいわちょう)に移りました。2016年公開の「殿、利息でござる(配給:松竹株式会社)」の舞台になったのがその町です。小学生の時は絵を描くのが好きでした。写生大会ではいつも入賞して、クレヨンとか絵の具が賞品でしたので買ったことはありませんでした。あとはプラモデルづくりです。
中学3年のときは受験勉強そっちのけで、親に内緒でアマチュア無線資格の勉強を最優先していました。学校の勉強はそんなにしませんでしたが、理数系は得意でした。歴史も好きでした。
高校に進学して数学、物理が面白いと感じるようになりました。物理愛好会をつくって活動していました。正式な部ではありませんから部費が出ないので、自分の小遣いをつぎ込んで物理実験などに費やしました。そのときつくったのが太陽炉という太陽光集光炉です。アルミ板を買ってきて、パラボラアンテナのように、太陽光が一点に集中するように計算してつくりあげました。発表会では10分間で1リットルの水を沸騰させました。

 

イギリス留学を経て光磁気が主流の中、相変化研究に取り組む

――最初は民間企業に入社されたということですが……。
大学の修士を経て1985年にTDKの開発研究所に入社し、最初はハードディスクの研究をしていました。2年半(1987年)ほどして会社の留学制度でイギリスのクランフィールド工科大学に留学しました。ハードディスクの読み出しヘッド(フライングヘッド)が日本の梅雨時の湿気が原因でよく壊れるので、なぜ壊れるのかを解明するためにイギリス留学を命ぜられたのです。留学当時のクランフィールド工科大学は地図を見てものっていません。なぜかというと、大学には空軍施設も存在していたのです。ジェット旅客機も降りられる2,400メートルに及ぶ滑走路がありました。博士号は留学先で取得しました。イギリス留学は私にとってたくさんの素晴らしい経験ができたところで、研究者としての原点がここにあるといっても過言ではありません。ですから私の研究室のスタッフには海外留学を積極的に勧めています。日本とは違う文化を知り、新たな人脈をつくることは将来の自分自身の財産になることですからね。とにかく「遊んでこい!」といって送り出しています。

恩師等と一緒に英クランフィールド工科大学留学中(右から2 人目が富永氏)

イギリス留学を終える頃にプラザ合意で急激に円高が進み、その影響をうけて日本のハードディスク事業はほとんど縮小しました。TDKもフライングヘッドだけ残してハードディスク事業を撤退しましたので、会社からは光磁気ディスクを勧められましたが、手遅れだと判断して1990年に相変化に進むことにし、相変化CD-RW の研究からはじめました。光磁気(MO)のグループは40人いましたが、相変化研究グループは私一人からスタートしました。MOグループからは「相変化なんて商品にならない」といわれました。やがてMO の全盛は短期間のうちに終焉となったのです。その大きな理由は1994年頃から画像を扱うためにギガバイト級の高密度メディアが求められるようになったからです。
ちょうどその頃、DVD-RAM を相変化でやるか、光磁気でやるのかが大議論になったことがありました。MO を推す企業と相変化を推す企業との大激論が交わされたのです。まさに「天王山」ともいえる会議でした。それで相変化が勝ったのです。

 

飛行場で偶然巡り会った利根川進先生の一言

――専門の研究機関にお入りになったきっかけは……。
相変化ディスクの製品化を前に、会社からその研究発表と新製品の紹介を兼ねてアメリカ出張を命ぜられました。ボストンで用事を済ませて、次の訪問地であるニューヨーク行きの飛行機を待っていたときでした。待合室で私の前の席に座られたのが利根川進先生でした。ノーベル賞を受賞されたばかりのあこがれの人でしたからサインをいただくことにしました。飛行機の出発まで1時間ほどの待ち時間があり、研究者の先輩である先生とお話をすることができました。
そのときに「君は企業の研究をやっているんだね。そろそろ上を目指したらどうかね」と先生がおっしゃいました。帰国して学会誌に産業技術融合領域研究所(現・産総研)の研究員公募案内が目にとまりました。「相変化を極めてみよう」と思い応募しました。私の研究成果でもあった新製品もできたということもあり、次のことに挑戦する区切りのタイミングでした。1997年の入所以後22年間、産総研で新たなチャレンジをすることになったのは、ボストンの空港での利根川先生の一言でした。

 

GST三元合金を使っての超高密度光記録ディスクを実現

――入所して次々に成果をあげられたとお聞きしていますが……。
応募で採用されたのは私を含めて2名でした。あとは旧・電総研からこられた方、それに秘書の4名で、できあがったばかりのこの研究棟を与えられました。6 ~ 7年でこの研究棟を設備と人で満杯にしました。
当時の研究テーマは、相変化による超高密度光記録の研究でした。光は波という性質もありますから一点に集光できないのです。それに波は回折限界というのがあって波長の3分の1か4分の1しか集光できない。
そこを固体の膜にして、なおかつ光でなく熱に応答して光の窓をあける(開光)という超解像技術の研究に取り組みました。
アンチモン(Sb)、ゲルマニウム(Ge)・テルル(Te)の三元合金を使いました。それは1999年のことでした。その研究で通商産業(現:経済産業)大臣賞を受賞し、2000年にIBMからも賞をいただきました。
次に、2009年にその光超解像技術をつかってブルーレイによる4倍密度のDVD ディスクを開発しました。そのデモを三菱電機の京都事業所で行いました。ハイビジョンテレビ4台と我々が開発した超解像DVDディスクをセットして、それにブルーレイレーザー光源が1本、その1本に4つの画像を同時にテレビ4台にそれぞれ振り分けて映し出すことに成功しました。
400ナノの波長、解像度が60〜80ナノ、いまのブルーレイは140ナノの解像度ですから、我々はそれよりも4倍高密度の映像を4チャンネルにして同時に映し出すことに成功しました。映し出した映像は京都の名所風景、花などでした。このときの60ナノは今でも世界の超解像技術のチャンピオンデータではないでしょうか。
ちなみに2014年のノーベル化学賞は超解像技術を利用したものでした。ドイツとアメリカの研究グループによってなされたものですが、彼らの解像度は90 ~ 100ナノです。
我々のほうが解像度では勝っていたんですが、彼らは医療分野に利用しました。受賞のニュースを知ったとき、我々の研究スタッフと「おしかったね〜」と「生き物を相手にすればよかったのかもね」という言葉を
交わし合ったこともありました。もし、このとき生きたものを見ていたらノーベル賞の可能性も……。(笑)

 

高解像相変化ディスクから超格子省エネ型相変化固体メモリへ

■スターリングエンジン模型の説明
下側の電極にあたる部分がお湯を入れるコップです。(コップ状の器に熱湯を注ぐ)電流が注入されたのと同じです。これによって相変化膜がスイッチします。ピストンの部分がGe の原子だと思ってください。いま上下していますね。この原子の動きは外に対して仕事をしているのです。つまりエントロピーを捨てているんです。これが相
変化メモリのスイッチと同じ理屈です。論文の著者はただ単に熱を入れることしか考えていなかった。見逃していたのです。上部は室温、下の器との熱の違いで動きます。上部は放熱に利用できます。

――相変化メモリ研究は次々に新たなテーマが現われるようですが……。
次に手がけたのがカルコゲナイドというGST の三元合金でなく、独自に考案した超格子をつかった省エネ型相変化メモリでした。そのきっかけとなったのは、私はそれまで光相変化ディスクをやってきたんですが、2006年に半導体関係の人がやってきて、電気を使った相変化メモリにも注力してほしいという要求をいただきました。私にとってじつにタイミングの良いことでした。というのは、各企業が光ディスクから手を引き始めていた頃で、2008年秋のリーマンショック以降、国内から海外生産へ移行していきました。
まず電気スイッチ型の相変化メモリ関係の論文を読むことから始めました。ある論文の中にコンピューターシミュレーションによる熱解析ソフトを使って140万色に色分けされたとても綺麗なデバイスの温度分布図が掲載されていました。最高温度が650℃(熔融状態)と200℃(結晶状態)での結果が記載されているのですが、相転移の瞬間については何も記載されていませんでした。 「なぜ、なぜ」という疑問が湧いてきました。何か間違っている、と思ったんです。
相変化とは結晶状態とアモルファス状態を行き来して、熔融と冷却の繰り返しです。温度をあげて固定して、温度を下げて固定するという熱サイクルなのです。これは熱力学の問題です。熱力学には第一法則、第二法則、第三法則という基本法則で理論づけられています。
つまり、論文は第一法則だけで議論しています。これでは熱力学サイクルは動作しません。サイクル中でエントロピーがどれくらいとられているのかを考えていない、つまり第二法則を無視している。私は物理化学が専門だったので、ここを解決すれば改善結果が出ると確信しました。だれもやらないのなら自分でやれば良いと思ったのです。
このエントロピー問題はそれまでの光ディスクの時にも感じていました。実際に計算をしてみると95%がエントロピーで消える、それを消えないようにすれば良いということがわかりました。エントロピーはゼロにはできないが、この95%のエネルギーロスをなくすために行き着いたのが超格子型相変化メモリでした。

 

今取り組んでいるのがトポロジカル絶縁体

――相変化研究はこれで終わりではなかったのですね……。
実は、結晶状態のGeTeとSb2Te3を積層した超格子で相変化メモリの省エネルギー化はできて、これで終わったと思いました。2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で、しばらく実験できなかったので、いろいろな論文を読むことにしました。そこで目に入ってきたのが「トポロジカル絶縁体」という聞いたこともないキーワードでした。しかしSb2Te3はトポロジカル絶縁体だという。私のやってきた超格子メモリも同じ材料を使っていましたから興味が湧きましたが、読んでも最初は全くわかりません。何か大きな可能性をもっているように感じました。「読書百遍何事かなる」ですね。
東工大にその研究をされている先生がいらっしゃいましたので、詳しく聞きに行くことにしました。そのとき宿題を出していただき、戻ってきてシミュレーションをしてみました。確かに先生のおっしゃった現象が確認できました。磁石をつかって電子スピンの時間反転対称性を壊せば良い、ということでした。デバイスは低抵抗を示す「セット」と高抵抗を示す「リセット」を繰り返す、そのサイクルの途中で磁石を近づけてみると、抵抗値が突然増加し、高抵抗状態に張り付いて低抵抗状態に戻らなくなりました。「壊れたかな?」と思って磁石を離すと今度は低抵抗状態に戻りました。この現象は電子のスピンに関係しているなと気が付きました。現在スピン制御のプロジェクトをスタートさせ、「トポロジカル絶縁体」の研究に取り組んでいます。
「トポロジカル絶縁体」が実用化すれば、今後のAI、IoT 社会を支える重要な技術として迎えられると確信しています。
(トポロジカル絶縁体について、詳しくはこちらの記事を参照)

 

「やれば」できるという上杉鷹山の言葉に同感

スパッタリング小型薄膜形成研究開発実験装置「QAM」と共に。現在の実験の大半はこの装置で評価を行っている

――研究活動をされる上でのポリシーは……。
私はポリシーが一つありまして。他人が「できない」と決めつけているものに対して、こだわりをもっています。山形・米沢藩の上杉鷹山の有名な言葉で「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」という金言がありますが、その通りだと思います。「できない」のは自分自身が決めつけてできないのであって、「やってみれば(取り組めば)」できると解釈しています。私の研究活動もそういう似通ったところがあります。
ある研究分野に関する論文を読んでいると、誰も触れていない、あるいは見落としている個所が往々にしてあります。ここを解決しなければ、という視点で考えます。 たとえば、TDK から産総研に移ってきたとき、光を使った研究をやりはじめましたが、近接場光を用いた走査型トンネル顕微鏡(プローブ顕微鏡)をただ見るだけでなく、これをものづくりの機構に活用できないかと考えました。
プローブ顕微鏡も光を使って原子を見るわけですから、原子の分解能をもっています。その発想が出発点となって、2009年に私は光超解像薄膜技術を可能にしました。超格子型の相変化メモリも同じ技術を応用してできたものです。 結晶とアモルファスの状態を行き来する(セット、リセット)のが相変化メモリです。先ほども申し上げましたが、そこでは必ずエネルギーロスはあります。ここを根底からひっくり返したら面白いだろうということで、結晶/結晶間相転移型の超格子型の相変化メモリを開発しました。
そのとき多くの人からは「できっこない」といわれました。「できっこない」と誰が決めたのか、それは「やっていないだけのことだ」と考えました。皆が見逃しているところに着目して有益なものを創り出すことが研究者としての使命だと思います。

*第一法則:系の内部エネルギーの増加量は、外から加えられた仕事量と熱量の和に等しい。熱量まで含めたエネルギー保存則。
第二法則:低温から高温へ熱を移し、他の何の変化も残さないようにしておくことはできない。エントロピー増大の原理。
第三法則:絶対ゼロ度ではいかなる物質のエントロピーもゼロになる。有限回数の課程によって絶対ゼロ度に到達することはできない。ネルンストの熱定理。

 

自然に逆らってはいけない、騙せれば良い

――どんなときにひらめきますか。
アイデアは毎朝の歯磨きしながらのトイレのときです。さきほど紹介した超解像技術はお風呂の中でした。娘をお風呂に入れていたときにひらめきました。ひらめきに至るまでいろいろ考え続けていますので、瞬間的なひらめきというよりも、こうすればいけるんじゃないか、と考えながらのひらめきです。ひらめいたことは、いろんな書物とか理論と照らし合わせていくんですが、自然を騙せたらいける場合が多いですね。この「自然を騙す」という考え方はイギリス留学で学びました。 留学先の先生は金属工学が専門で航空機のジェットエンジンや機体の金属疲労を研究している人でした。その先生が「技術というのは自然を騙せたら良いんだ。自然を克服するようなものをつくったらしっぺ返しを食う。だから自然を乗り越えようとか、克服しようとかしてはいけない。自然を騙せれば自然は受け入れてくれる」という。 私の超格子型メモリのエントロピー問題もそれが当てはまります。そこには「マックスウェルの悪魔」が住んでいて、熱エネルギーをつかうときは、悪魔に熱エネルギーの税金を必ず支払わなければいけない。それが自然の掟なのです。つまりエントロピーを「ゼロ」にして熱機関をつくることはできません(永久機関禁止の法則)。だから「マックスウェルの悪魔」をうまく騙せば良いわけです。

 

飛行機のジェットエンジンの音に魅せられて……

――どのような趣味をお持ちでしょうか……。
趣味はラジコンの飛行機を飛ばすことです。週末はラジコン飛行機を飛ばしています。飛行機の流体力学にかなった流線形が好きですね。 私がイギリスの留学先の大学では、ロールスロイスのジェットエンジンのタービンブレードの開発研究グループに所属していました。ANAの787はそのロールスロイスのジェットエンジンを積んでいます。出張の時はANA に乗るようにしています。席にはノイズキャンセリングイヤホーンが用意されていますが、私はジェットエンジンの音に興味があるのでいつも使用しません。

機長からのメッセージ

あるときキャビンアテンダントが席にやってきて「これをつけていただくとノイズが消えて快適にお乗りいただけます」という。私は「タービンブレードの研究をやっていたことがあるのでジェットエンジン音に大変興味があって、エンジンが正常に動いているかどうか、その音を楽しんでいるんです」と答えました。そのアテンダントは機長にそのことを伝えたのでしょう。飛行機から降りるときに機長からの伝言を渡されました。「こういうお客様が飛行機に乗っていていただくと我々も安心して操縦できます」と感謝されました。
飛行機のエンジン音を楽しむ絶好のポイントは、成田では南風の時、成田の桜山がお勧めです。午後2時半から3時半は帰国便が多いのでその時間帯がいいですね。一番お勧めなのが大阪・伊丹空港の近くにある土手が最高です。頭の上、50メートルの所を飛んできます。でも乗るのが一番です。うるさいと聞くのではなく、芸術として聞いてみてください。(笑)

 

相変化と磁気技術の融合で日本企業は進むべき

――相変化メモリと他のメモリとの棲み分けは可能なのでしょうか。
いまからやるべきことは相変化メモリとMRAM が組むことです。トポロジカル絶縁体をつかって、通常の磁性材料をつかわないで動かせるようになります。磁気の材料を使わなくてもスピンを自由に制御できるようになる。相変化の中にトポロジカル絶縁体をつかってスピンを制御する相変化メモリの部分と、スピンを使うメモリの部分をわけて、一つのデバイスの中に埋め込めば良い。それが私の考える将来です。片方の技術をつぶす必要はない。一緒に共同の道を歩めば良い。そうすれば日本のメーカーは成長するのではないかと思います。もう昔のように光ディスクのときのような喧嘩はやめないと!