「劣勢」はイノベーションを 生み出すチャンス

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アメリカとは異なる独自の工夫で「はやぶさ」の成功を導く

イオンエンジン1
4つの円形のものがイオンエンジン(写真提供:JAXA)
イオンエンジン2
イオンエンジンの耐久試験で活躍したスペースチャンバーに組み込まれたクライオポンプ (アルバック・クライオ製)

小日向:それだけの耐久試験をされたにもかかわらず、初代「はやぶさ」はイトカワに着陸する際、思わぬアクシデントに遭遇することとなりました。我々も装置を設計するときに、これがダメになった時のために「あれもこれも追加しておこう」と二重三重にいろいろな手を尽くすことがあります。それが逆に複雑になりすぎて故障の原因になり得ます。先生の場合には限られた重さ、限られた空間の中で、しかしながら万一の時のためにさまざまな対応策を講じられたわけですね。

國中:衛星の場合は人を運んでいるのではないので、「One Fail に対応できる」という設計法です。例えば、100 個のものがあったとすると1個のFail(不具合)の発生が起こることを前提に考えておく。これが2重のフェイルだと100×99 = 9,900 のケースを考えなければいけなくなるので、さすがにそれには対応できません。人の乗っていないタイプの宇宙技術はOne Fail に対応するのが基本的な考えです。
人間が乗っている宇宙機にはスリー・インヒビット(three inhibit)という考え方です。3つの対策で全ての事象を解決するという考え方です。ですから無人と有人とではアプローチが異なります。「はやぶさ」は無人ですからイオンエンジンは3台で稼働させ、もう1台は予備というOne Fail を想定してのものです。

小日向:イオンエンジンが4つというのはそこからきたのですね。

國中:そのサイジングは、エンジニアリング・センス的な重要課題です。例えば衛星の推力を1 台で構成しようとすると、予備がもう1 台必要ですから200%積まなくてはならない。必要推力を3台で網羅させるなら、予備を1台加えて、全133%で済む。結果として軽く小さくなる。だからどのようにサイジングするのかはエンジニアリング・センスとして重要な事柄です。小さく設定することは、地上での試験の規模も小さくできるので、比較的規模の小さいチャンバーで済んだのです。
そのときにアメリカというライバルがあらわれ、アメリカもイオンエンジンを使って宇宙探査に挑戦しました。日本が5 ~ 6 年かかるものを、日本よりも後発のアメリカは3 年で仕上げて、日本よりも早く打ち上げてしまったのです。腹が立ちますね(笑)。
アメリカのイオンエンジンは大きいので人工衛星には1台しか載せられないのです。日本は小さなエンジンを4つで賄ったわけです。スケールから見るとアメリカの方が断然有利なのですが、こちらは数では4つもあるのだからアメリカとは異なる工夫ができるのではと考えました。イオンエンジンはイオン源と中和器が1セットで動きます。日本はそれぞれ4つずつ積んでいますから、それぞれの中和器を他のエンジンと組み合わせて使うことができるので、アメリカよりも上をいくことができると確信しました。

小日向:それがクロス運転という、初代「はやぶさ」を最後のところで成功させた大きな功績になったのですね。

國中:アメリカというライバルがいて切磋琢磨するメカニズムが働いたからこそ斬新な考えが出てきたのでしょうね。

イオンエンジン3
はやぶさの地球帰還を救ったイオンエンジンのクロス運転

シミュレーションを繰り返し信ぴょう性の高いデータづくりを

小日向:私は新規開発の設計段階では、必ずシミュレーションをきっちりやるように指示していますが、はやぶさの場合は、たくさんの専門技術が統合されたものですから、シミュレーションも中途半端な数じゃない、いろんな面からのデータを活用されたのだと思いますが、いかがでしょうか。

國中:衛星をつくるテクニックはそれなりに確立されていて、段階的に組み上げていきます。最初は漠然としたスペックを与えられるわけですが、詳細に設計が進んでいくと各種のプロファイルがよりリアルになってきて、漠然とした数字じゃなくてリアルに、シュアなものにでき上がっていく。これを何回か繰り返して組み上げていきます。

小日向:会社でも開発を進めていく過程で、思わぬ結果が出てきて、その結果に基づいて判断を迫られることがあります。
重要なのは、その結果がベストを尽くしたものか否かに気を使います。中途半端な結果では、意味がないこともありますから。

國中:そうですね。うちは学生がおりますから、私は学生の研究成果も毎週チェックしています。中には本当に怪しげな数字もありますが、アイデアを出しながら、数回やり直しをさせたりして、信ぴょう性の高いデータをつくらせるようにしています。

研究陣の若返りによりさらなるイオンエンジンの進化を

齋藤:初代「はやぶさ」ではイオンエンジンは徹底した耐久試験と日本独自の工夫を盛り込んだわけですが、「はやぶさ2」では更にこうしてやろうとか、新たな取り組みはされましたか。

國中:初代のイオンエンジンでいろいろな宇宙現象をとらえることができましたし、フィールド活動でいろいろなデータがとれたので、そこをベースにもっとよいエンジンをつくり上げたいと思いました。それを学生への研究課題にもしました。
また、研究スタッフの若返りも重要なテーマです。私も同じように歳をとりますので研究組織を若返らせたいと思いました。採用すると言ってもJAXA 予算が厳しいので、NEDOなどの外部資金を活用して、その資金で人を集めました。さらにそれだけでは賄えないので、イオンエンジンをつくってくれる企業をエンカレッジすることもしました。これも婉曲的な人的補強の一環です。一方、企業に対しては、日本のマーケットだけにとどまらせておくのはもったいないので、企業担当者と一緒になって海外に出向いて営業活動もしました。

小日向:イオンエンジンは商用ロケットにも搭載されているのですか。

國中:アメリカではイオンエンジンは商用ロケットにも使われていますが、私の開発したマイクロ波イオンエンジンはまだです。私の野望としては静止衛星に載せたいと思っています。その方が断然数が出るのです。もしも商用衛星に採用されたら量産ですよ。

初代「はやぶさ」の経験を糧にした「はやぶさ2」のイオンエンジン

國中:JAXA に統合されるまでは、日本の宇宙関係の組織は、宇宙開発事業団(NASDA)、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)の3つの組
織がありました。私はISASに所属していました。ISASは科学衛星のみで商用衛星はやっていませんでした。
NASDA は商用衛星をいっぱいやっていましたから「あっちはいいなあ、僕がメンバーだったら開発したイオンエンジンがいっぱい使われるのに」と思っていまし
た。2003 年にJAXA に統合され、私の活動分野が一気に広がりました。100 倍くらいに広がって私にとってはJAXA への組織変更は本当に良かったですね。

齋藤:それは、「はやぶさ2」のプロジェクトマネージャになったという立場の違いから見えるものが違ってきたということもあるのではないでしょうか。

國中:「はやぶさ2」の課題は、どれだけ短期集中でものをつくるかということです。決めて、決めて、決めてという状況でした。どちらかというと抑圧された生活でしたね(笑)。
初代「はやぶさ」の反省点としては、イオンエンジンが万全でなかったということです。万全だったら事前に余裕をもって準備ができたのですが、2006 年6 月の帰還予定が2010 年に延びてしまったので、その分大丈夫かなという不安をもっていました。そういうことを想定していくつか仕掛けはしましたが、それも本当に動くかどうかわからない。遅れるということはイオンエンジンへのノルマが増えていくことになるのです。本来イオンエンジンを使わずに行う姿勢制御もイオンエンジンでやらなくてはならなくなったため、最後、地球に帰ってくるためにはクロス運転を使うしかない状況になりました。試作機ではやっていましたが、それが動くかどうかは実機ではやっていなかった。

小日向:我々もいろいろな開発競争の中で、明らかに競合の方が優れている場合でも何とか知恵を絞って、それに対抗できる、それを上回るものを考えるわけです。そこで考えられたのがクロス運転だったのですね。

はやぶさ2の航路
地球の重力を利用するスイングバイのあらまし

國中:やはり切磋琢磨は必要だと思いますし、隣の芝生は青く見えます。劣勢はある意味、そうした新しい技術を考えるチャンスだと思います。初代「はやぶさ」のエンジンは、マイクロ波のイオンエンジンでやるといったとき、諸外国から日本にできるわけがないといわれました。国内の大学の先生からでさえもです。ある意味逆説的ですが、「君ならできるよ」というのがプラスの応援だとすると「お前なんかにできるわけがない」というのはマイナスの応援です。マイナスの応援を逆手にとって、悔しいと思って闘志を燃やせば、できないと思われていたことができるようになるのです。
「はやぶさ2」は、初代「はやぶさ」で乗り越えてきたことをベースにしていますので、2014 年12 月の打ち上げに向けては自信をもちつつ開発しました。しかし、これも科学技術ですから、リアルタイムで正解があるかどうか分からない世界です。そのとき使える科学技術や知見の最高のものを導入することが我々のできる唯一の技です。5 年後、10 年後に新しい知見ができてきて、あの時は間違いだったということは科学技術の分野ではたくさんあることです。それは仕方のないことです。そのときの人間の英知を超えてたわけですから。