石川芳次郎の生涯とは?

ULVAC人物交差点 石川芳次郎 Vol.3

芳次郎はじめ、こうして集まった財界支援者6人は、ベンチャー企業を金銭面で支援する今で言う“エンジェル”でした。まさにこれ以上のバックアップ体制はないといっても過言ではありません。

しかも芳次郎は、アルバックが会社としてほぼ一本立ちができようになった11年後に、井街仁に社長の座を渡し、終身会長として身をひいています。これも芳次郎の深い思いやりの一つなのでしょう。

しかし、なぜ芳次郎の一言でこれだけの人物が集まったのでしょう。何の抵抗もなく100万円という出資金が得られたのでしょう。さらに発起人としてだけでなく、非常勤役員にまで名を連ねてくれています。よほどの厚い信頼関係があったからなのでしょう。芳次郎は生涯にわたって、実に多くの団体・企業の非常勤役員を引き受けていますが、特に60歳を超えてから“終身”役員というかたちで推薦を受けたものが50件ほどあります。また、1969年に死去した際、京都市は芳次郎を市民葬として死を悼むと同時に生前の京都市への業績を讃えています。これら石川芳次郎に対する高い評価を知るには、“芳次郎の人生そのものを知らずして語るべからず”なのかも知れません。

前文が長くなりました。では次回から波乱に富んだ石川芳次郎の人生を詳しく紹介していくことにしましょう。