“宇宙の町、ちがさき”を語る

毛利衛宇宙飛行士、真空技術との関わり

林主税(はやし・ちから)当時アルバック会長と毛利衛氏との関係を紹介しておきます。

アルバックは1983年頃から対外広報誌『ULVAC』を発行していますが、1993年に「巻頭対談」というメイン記事において、二人は対談しています。その中身を簡単にダイジェストしてみます。

 

林:毛利さんが宇宙飛行士に応募されたきっかけは?

毛利:当時、北海道大学の高真空研究室で働いていました。真空チャンバーは小さい。そこで、宇宙飛行士になって、宇宙の巨大な真空空間に飛び込んで実験をしてみたいと思った。

:宇宙では真空は「つくるもの」ではなくて「本来あるもの」なんですからね。

 

このように、林氏も毛利氏もお互いに真空の“技術屋”ということで意気投合し、毛利氏は真空技術の大先輩格である林氏に、同じ真空学会の仲間ということもあり、一目置く関係でもあったのでしょう。しかし、お二人のきっかけは、林ご本人も故人となり、吉弘広報担当部長も故人となったことから筆者は詳しい確認はできませんでした。

前川:林さんと毛利さんとのエピソードがあります。

茅ヶ崎分団設立間もない頃だと思います。林分団長を筆頭に少年たちを筑波のNASDA(現在JAXA)に見学に行ったことがありました。当日、NASDAの事務局から「当日は多忙のため、毛利さんとはお会いできません」という連絡はいただいていましたが、それでも構わないから研究所だけでも行きたい、という少年たちの要求でした。

これがそのときの写真です。写真前列中央が毛利さん、左端が林さん、右端が前川さん

現地に到着していろいろ案内していただきました。ちょうどそのとき、ある少年が「あそこに毛利さんが歩いている」という。そうしたら林さんが事務局に電話を入れられて「少しの時間でも良いから少年たちに会ってくれませんか」と交渉してくださいました。

すぐに毛利さんから連絡があり「10分間しか時間がとれませんが、玄関で待っていてください」と、思ってもみなかった返事でした。本当に毛利さんが玄関に来てくださいました。記念撮影をしたり、約束の10分間はとっくに過ぎていました。思わぬハプニングで少年たちは大喜びでした。

林さんのお顔の広さと人望の深さに改めて感動しました。

中国から林会長に贈呈された「神舟6号」ミニチュアモデル

前川:もう一つ林さんのことについてご紹介します。茅ヶ崎市の汐見台にある県の施設「なぎさギャラリー」の一部に「宇宙飛行士展示コーナー」があります。これは2008年6月に設置されたもので、日本宇宙少年団茅ヶ崎分団も協力しています。

そのコーナーの一角に中国の有人宇宙飛行船「神舟6号」のミニチュアモデルが展示されています。「神舟6号」は2005年10月12日に打ち上げられ、中国では2度目に成功した有人ロケットで、このときの模様は中国では珍しく同時放映されました。生放送で中継するくらいですから、中国はよほど自信があったのでしょう。

このミニチュアモデルは、中国の宇宙研究機関から、林さんに対して「真空技術で中国の宇宙開発に貢献した」という理由で贈呈されたものです。当初林さんのご自宅にありましたが、「宇宙飛行士展示コーナー」の設置に際し、2008年2月、林さんから「日本宇宙少年団茅ヶ崎分団に」と申し出をいただき、そのミニチュアモデルを寄贈していただきました。林さんにとっては大切な記念品だったはずです。さっそく同年6月の展示コーナーに飾りました。何よりの寄贈品の一つでした。

茅ヶ崎市の宇宙教育事業「ちがさき宇宙フォーラム」

2015年8月9日、飛行10周年を記念して開催された日本初ロケット火薬実験の地記念碑除幕式にて。

茅ヶ崎市では「ちがさき宇宙フォーラム」を全面的にバックアップしています。このフォーラムへと進展していったきっかけは、前述の2008年6月に開設された「宇宙飛行士展示コーナー」でした。このフォーラムの会長も前川さんが担当しています。

「ちがさき宇宙フォーラム」の目標は、“宇宙のまち茅ヶ崎”を世に広め、宇宙に対する理解と関心を深めながら、無限の可能性を秘めた宇宙への夢を青少年・市民とともに育み、青少年の健全な育成と市民自らが魅力あるまち作りに参画してゆくことを目標とします。

 

前川:茅ヶ崎の海岸では、糸川英夫博士のペンシルロケット発射(1955年)にさきがけ、1934年、固体燃料ロケット研究の第一人者である村田勉博士がロケット打ち上げ実験をした、というエピソードが残されています。茅ヶ崎は、日本の宇宙への挑戦の曙に深く関わっていたのです。

時代は下って、日本宇宙少年団茅ヶ崎分団は、2005年、茅ヶ崎市出身の宇宙飛行士 野口聡一さんの偉業を応援するために市内の青少年関連団体が集まって「野口聡一さんを励ます会」が生まれました。野口さんの地球帰還日が8月9日であったことから、その日を記念日として毎年、宇宙教育の催しが行われてきました。

2006年8月9日、第1回宇宙記念日に招かれた野口宇宙飛行士(中央)

2006年の8月9日の「第1回ちがさき宇宙記念日」には、野口宇宙飛行士が講師となって宇宙教室を開催しました。このあと、もう一人の茅ヶ崎ゆかりの宇宙飛行士 土井隆雄さんの飛行応援もしました。2008年には「宇宙飛行士展示コーナー」が開設され、年間3~4回の「宇宙教室」が、市の主催事業で開催されるまでになりました。

日本宇宙少年団茅ヶ崎分団は、それらの企画・運営に協力し深く関わって行く中で「ちがさき宇宙フォーラム」へと名称を変更し、宇宙関連教育事業全般への協力行っています。このように「ちがさき宇宙フォーラム」は市が主導したものではなく、「宇宙への夢」という市民の草の根活動の進化形としてできあがったものです。

 

【第38回ちがさき宇宙教室】2017625日開催 協力:株式会社アルバック(宇宙フォーラムHPより)

実験は真空を自分たちで作るところから始まります。参加者は、ポンプを使ってボールの中に真空状態を作り出します…真空の力を使って空気の圧力でくっついたボールはなかなか離れません。

立て続けに講師のアルバック職員さんはピンポン玉を約1000キロメートル/h以上のスピードで発射したり、常温で水を沸騰させてみたり、真空の力でエアインチョコまで、子ども達は学校では見ることがない不思議に興味津々でした。

一番盛り上がったのは、蒸着という現象でしょうか。金属を蒸発させて、フィルムなどに付着させる技術です。これは、様々な製品に使われており、お菓子の袋の中側が銀色ですが、それはこの技術が使用されているそうです。

林 主税(はやし ちから)の略歴

1922 年(大正11 年)12 月25 日生
2010 年(平成22 年)9 月26 日没
出身:旧 東京市芝区(現 東京都港区)

  • 学歴

1934 年8 月 台湾高雄市堀江小学校に転校
1935 年~ 1939 年 高雄中学校
1939 年~ 1942 年 台北高等学校
1942 年~ 1944 年 東京大学理学部物理学科(卒業)
1959 年 理学博士(東京大学)

  • 主な職歴

1945 年~ 1952 年 東京大学理学部物理学科研究員、文部教官
1952 年8 月 日本真空技術株式会社(現株式会社アルバック)設立に参加
1971 年8 月 同社代表取締役社長
1986 年9 月 同社代表取締役会長
1994 年9 月 同社相談役最高顧問
2003 年9 月~ 2004 年6 月 株式会社アルバック最高顧問
2004 年7 月 同社社友
1966 年4 月~ 2000 年6 月 真空冶金株式会社代表取締役社長を経て会長
1979 年1 月~ 2000 年9 月 アルバック成膜株式会社代表取締役社長、会長、取締役を経て相談役
1985 年~ 2001 年 日本リライアンス株式会社代表取締役会長を経て取締役
1987 年5 月~ 2003 年6 月 株式会社アルバック・コーポレートセンター代表取締役社長を経て取締役

  • 主な公職歴・団体歴

1962 年~ 1994 年 応用物理学会副会長を経て、評議員
1979 年~ 1993 年 科学技術庁科学技術会議専門委員
1981 年~ 1986 年 新技術開発事業団「林超微粒子プロジェクト」総括責任者
1981 年~ 1993 年 日本鉄鋼協会評議員
1988 年~ 1996 年 茅ヶ崎市教育委員会委員
1988 年~ 1998 年 財団法人生産技術研究奨励会理事
1990 年~ 1996 年 日本学術振興会総合研究連絡委員
1991 年~ 2000 年 科学技術庁参与
1994 年~ 1996 年 中華人民共和国瀋陽市対外経済貿易顧問
1990 年~ 中華人民共和国北京科学技術大学名誉教授他客員教授等、他