“宇宙の町、ちがさき”を語る

宇宙、茅ヶ崎、アルバックと前川義憲氏

アルバックが本社を横浜市から現在の茅ヶ崎市に移転したのは1968年4月のことでした。ちょうど今年で50年目にあたります。本当に長い間、茅ヶ崎市にお世話になっています。今後とも末永くよろしくお願いいたします。

前川義憲さん

その茅ヶ崎市には、2008年頃に設立された「ちがさき宇宙フォーラム」という市民活動団体があり、茅ヶ崎市が全面的にバックアップしています。「ちがさき宇宙フォーラム」は、「宇宙のまち、茅ヶ崎」を世に広めようと、毎年「ちがさき宇宙フォーラム」が協力して、茅ヶ崎市が主催するかたちで、子どもたちに宇宙への夢を育んでもらう目的で、いくつかの宇宙教育に関する催物活動を行っています。

ちなみに、これにはアルバックも協力しており、2017年6月25日に開催された「第38回ちがさき宇宙教室」では、小中学生の参会者にアルバックの本社ロビーなどを提供し、同時に、アルバック社員が中心となって、「真空と宇宙の不思議」をテーマにした教室も好評を博しました。

じつは宇宙と茅ヶ崎市、さらにアルバックとの結びつきはこれだけでなく、1996年の日本宇宙少年団茅ヶ崎分団設立にまでさかのぼります。そのことについて直接携わった方がいらっしゃいました。「ちがさき宇宙フォーラム」の会長でもあり、現在も日本宇宙少年団茅ヶ崎分団の分団長をされている前川義憲さんです。そこで前川さんにお目にかかって、宇宙と茅ヶ崎市、さらにアルバックとの結びつきについて伺うことにしました。

前川さんご自宅のドーム型天体観測施設

――前川さんご自身が子供の頃から今に至るまで、宇宙に大変興味をお持ちだとお聞きしています。

前川:2018年は宇宙に関するニュースで賑わっています。毎日がワクワクです。(笑い)というのは、6月27日に小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウに到着したことです。初代「はやぶさ」の感動物語は映画にもなったりして、まだ記憶に新しいところですね。「はやぶさ2」はその後継機種として2014年12月3日に打ち上げられ、約3年半を費やして、目的とする小惑星リュウグウに辿り着いたことになります。これから9月~10月にかけて、いよいよタッチダウン(着陸)が行われ、リュウグウの地表にあるサンプル採取が始められるとのこと。今回はどのようなドラマがあるのでしょうか。2020年の帰還が楽しみです。ますます宇宙への夢は広がるばかりです。

――ところが今年は「はやぶさ2」だけではありませんね。7月31日には、火星が地球に大接近し、9月頃までは肉眼でも確認できるとのことですが……。

前川:宇宙に興味ない方でも一度は南に輝く火星を観察してみてはいかがでしょうか。じつは、私は子供の頃からの“宇宙趣味”が昂じて、自宅にドーム型の天体観測所を設けています。ですから今年は“火星三昧”といったところでしょうか(笑い)。時々ですが、私が分団長をしている「日本宇宙少年団 茅ヶ崎分団」の小中学生たちを自宅に招いて、天体観測教室も開いています。

前川さんの話の関係する「日本宇宙少年団」について簡単に紹介しておきます。

茅ヶ崎分団の上部団体である「日本宇宙少年団(Young Astronaut Club-Japan、 通称:YAC)」は、神奈川県相模原市に本部を置く元文部科学省研究開発局宇宙開発利用課所管の公益法人で、1986年の設立以来、団員登録人数延べ20,000名を超え、全国に広がる宇宙教育を実践する約130分団を中心に、科学工作・実験、自然・天体観察、野外・社会貢献活動など、次世代を切り拓く「宇宙時代の地球人」を育む活動・事業を展開しています。ちなみに理事長は漫画家の松本零士氏です。

また、2007年以降は、日本を代表する宇宙機関であるJAXA(宇宙航空研究開発機構)宇宙教育センターとの宇宙教育活動に関する協定に基づいた本格的な連携・協力の取り組みも行っています。

茅ヶ崎には1996年9月11日に、「日本宇宙少年団 茅ヶ崎分団」が設立され、いまも「ちがさき宇宙フォーラム」の宇宙教育活動を支援するかたちで活動を続けています。

前川さんによると、その後の茅ヶ崎市が全面的にバックアップする「ちがさき宇宙フォーラム」の設立にも、じつは「日本宇宙少年団 茅ヶ崎分団」の草の根活動が大きく貢献しているとのことです。さらに日本宇宙少年団のきっかけはアルバックが深く関わっているとのこと。

日本宇宙少年団
http://www.yac-j.com/

ちがさき宇宙フォーラム
http://csf.main.jp/

宇宙少年団茅ヶ崎分団設立に林アルバック会長がバックアップ

前川:事の発端は1994年4月のことです。「茅ヶ崎市子ども会 連絡協議会」というのがありまして、30周年を記念して記念講演会が企画されました。協議会では、何か夢のある講演が良いだろうということで、スペースシャトル「エンデバー」に搭乗し、日本国民に夢を届けてくれた日本人宇宙飛行士の毛利衛(もうり・まもる)さんを子ども会に招いて講演してもらおうということになりました。そこで、当時の宇宙開発事業団NASDA(現JAXA)に問い合わせしたところ、「その町に宇宙少年団の分団が無いところでは講演はできない」ということでした。

――完全に暗礁に乗り上げてしまいましたね。どうされましたか?

 

2009年7月に行われた野口飛行士壮行会にて(左から二人目が野口飛行士、右端は林さん)この翌年9月、林さんは死去された

前川:ならばと、協議会では早急に茅ヶ崎市に宇宙少年団を設立し、それで毛利さんを招こうということになりました。このころ、協議会の方から私にも手伝ってくれないかとのお誘いがあったのです。1995年4月11日、ちょうど厚木市で毛利宇宙飛行士の講演会があると聞き、直接、毛利さんにお会いして分団設立について協力を仰ぎました。また、協議会では具体的に分団長をどなたにお願いすればいいのか探していたところ、茅ヶ崎市の青少年課から紹介されたのがアルバック(当時社名:日本真空技術)の会長をされていた林主税(はやし・ちから)さんでした。林さんは市の教育委員をされていました。

また、林さんはアルバックの経営者でもありますが、日本を代表する真空技術の大先生で、真空は宇宙とも深く関わりのあることもあり、宇宙少年団の設立についても大変興味を示されました。それどころか、後に結団したときはポケットマネーで基金も頂戴しました。さらに、驚きのことがありました。林さんは毛利さんとも懇意にされていることもわかりました。

すべてを林さんにお願いするしかありませんでした。あきらめかけていた毛利さんの講演会や宇宙少年団の設立が現実のものとなったのです。こうして、1996年9月11日、分団設立準備会と設立総会が開催され、翌10月26日に茅ヶ崎分団結団式と茅ヶ崎分団友の会が発足しました。

林さんはご多忙の中、2年間という限定でしたが、日本宇宙少年団 初代茅ヶ崎分団長も引き受けていただきました。基金も寄付していただき、さらにアルバックの広報担当部長だった吉弘信夫氏を副団長として指名し、「彼は新聞記者だったのでいろいろ顔も広いし、宇宙少年団のサポートもお願いしておいた」という配慮までいただきました。現在、林さんの後を継いで私が分団長の任にあたっています。このように、アルバックの林さんがいらっしゃらなかったら茅ヶ崎分団はどうなっていたでしょう。